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光と音が遮断された場所。
そこには苦痛さえもない。
カレルはそっと目を開け、閉じた心を開く。
熱気をはらむ薄紫色のカーテンが揺れていた。
透けそうで透けないそれが上下に波打っている。
ここが天国?
想像すらしたことのない楽園がここ?
曖昧な思考が感覚を手繰り寄せる。
視覚が真っ先に鋭敏さを取り戻す。
カーテンにいくつもの突起が見えた。
煮え立つシチューの表面に似て、突き出そうとする小さな突起が生地の張力に押し返されている。
カラカラという音と尾を引く別の音が遠くに聞こえた。
目の前にまたひとつ突起が生まれ、一際大きく育ちながら膜を引き延ばし、薄紫をさらに薄めていく。
ついに生地を破って頭を出したそれの鉄褐色を認めたとき、鈍い衝撃と同時にこめかみを熱いものが過ぎった。
横っ面をはたかれたように、高速で首が捩れる。
「大丈夫か?」
誰かにパーカーのフードをつかまれ、引き上げられた。
再び周辺がぼやけ始めた視界を上に向けると、ゴーグル越しにその男と目が合った。
「いや、なんでもない」失敗でもしたかのような苦笑いを一瞬浮かべた男は、捨てるようにフードを手放した。「君がカレルだな」質問とは思えない決めつけの言葉をぶっきらぼうに投げかけてくる。
けれどカレルは答えるどころではなく、割れそうに痛む頭を抱え、石畳の上を転がった。濁る意識の中で、男の姿が縦に回転した。そのコマ送りのような画像がつながりかけた矢先、行き止まりの壁に背中を打ちつけた。
「まっ、訊くまでもないか」
仰向けで静止したカレルを見下ろしながら、男は退屈そうに呟いた。金色のラインが入ったつや消しのヘルメットは、六フィート半を超えて上にあった。カレルなら両足を突っ込めそうな編み上げのブーツに、クリップ留めのポーチが弾けんばかりに膨らんだアーマーベスト。丸太のような太い腕はゆったりと上下に動いていて、薄紫色のカーテンは、彼が手にした懐中電灯から発せられているようだった。
「動くなよ」
無精髭に囲まれた意志の強そうな口元が僅かに緩み、高熱の膜が消え失せた。いつのまにか散らばっていたガラスの破片を踏みつけ、男は陽炎の向こう側へ猛然と飛び出していった。
カレルは遠ざかる後ろ姿を霞む視線で追った。
小刻みに揺れるバックパック。
空気さえ逃げ出しかねない怒濤の突進に、あわてふためく気配。
敵の機関短銃が不協和音を奏でた。
にも係わらず男の進撃は止まらない。
(ジークフリート?)
その右手に薄紫色が宿る。
今度は平面ではなく直線。
光りの刃が忽然と現れた。
肩口まで引き上げられた男の腕が前方に突き出される。
(ドゥームカッター?)
ぶうぉん。
扇状に広がった熱の伝播が辺りを震わせた。
銃声が悲鳴のごとく聞こえたあとに残されたのは、髪の毛を焦がしたような異臭と、横たわる五つのヘルメットだった。
連中と同じ黒一色の戦闘服が、ゆっくりと振り返る。男の落ち着いた佇まいは、呼吸さえ乱れていないことを物語っていた。
耐えきれないほど重くなった瞼に懸命の抵抗を試みるカレルは、戻ってくる男の肩口に目を留めた。見間違いではなかった。やはりそこにはイルムガルトの白い羽根があった。
「まだ駄目か?」
腰を屈めた男の硬い手が戸惑い気味に頬へ伸びてきて、ひんやりとした心地良さが顔全体を覆った。
「仕方ないな……」
低いぼやきとともに差し入れられた片腕が、何の予備動作もなく持ち上がる。
水の浮力に近い大らかな力。
未だかつて接したことがないそれで男の肩に担がれたカレルは、急速に意識を失っていった。
その暗転するラストシーンを、路地に転がる五体のイルムガルト兵が厳かに締めくくった。意外にも彼らの喉元に出血はほとんどなく、焼きごてで撫でられた樹脂のように溶解した傷跡は、赤黒い断面をぱっくりと晒しているに過ぎなかった。
*
目を覚ますと、横たわる下着姿が隣に見えた。くすんだ肌に迷彩色のタンクトップ。首を取り巻く鬱血の筋。顔を覆った白いナプキン。むろんそこに命の気配はない。
「それに着替えてくれ」
カレルは浮き砂を油っぽい木目にめり込ませながら、テーブルと椅子が乱立する床から半身を起こした。痛みが癒えた脚の先、窓際の席にゴーグルを外したあの男が腰かけていた。僅かに開けた鎧戸のすき間から、外の様子をうかがっているらしい。射し込む微光に浮かび上がる横顔は、切り立った崖を思わせるほど無駄のない造形だった。
こちらを見向きもしないその厳しい表情のプレッシャーに、カレルはふらつきながらも立ち上がり、まだすっきりとしない頭を何度か横に振った。飲みかけのビアジョッキが集うテーブルの上には、イルムガルトの黒い戦闘服が無造作に放り投げてあった。床の死体を回り込んでからそれに手を伸ばし、窓際へ確認の視線を送る。しかしジークフリートの面影、すなわち浮世離れした強さを漂わす物騒なシルエットは微動だにしなかった。
「貴方が殺したんですか?」
衣擦れの音をわざとたて指示に従っていることをアピールしながら、カレルは平静を装って尋ねた。
「ああ」
当たり前だというふうに、吐息混じりの間延びした答えが返ってきた。
「この服を奪うためだけに?」
「本当はバックに入れて運び出す予定だったんだが、思いのほか君は大きくてね」
確かに男の足元におろされているバックパックは、ミロッシュならもしやと思わせるくらいの特大サイズだった。男が背負っていたときにはわからなかったが、こうしてバック単体で見ると、デザインが似ているだけで、他のイルムガルト兵の持ち物とは明らかに違う。
「でも君が気にする必要はない。エデンの子の役に立つなんて、そいつにしちゃ出来過ぎた最期だ」
ややトーンを上げた口振りは、感謝して欲しいくらいだといわんばかりだった。
もしかしたらこの男はイルムガルト兵ではないのかもしれない。しゃくった顎で死体を指し示すぞんざいな態度も相まって、そんな考えがカレルの頭に浮かんだ。
「エデンの子って、僕のことですよね?」
「わかっているなら話が早い」
意外なほどしなやかな身のこなしで、男は椅子を引き立ち上がった。華奢な板張りを軋ませながら、重量級の歩みが真っ直ぐに近づいてくる。並の大人の背丈を上回るだろう高さにある肩から、L規格のバナナのような手が突き出された。
「脱いだ服は俺が預かる」
カレルはパーカーとカーゴパンツを軽く畳み、男に渡した。どちらも酷く汚れていて、特に無数の焦げた穴が無惨なパンツには、生乾きの血がべったりとこびりついていた。けれどスニーカーを拾い上げようと腰を屈めたついでにふくらはぎをさすってみると、不思議なことに痛みどころか傷跡さえも感じられなかった。
「バッグもだ」
その感触は厚い戦闘服のせいではないだろうと首を捻りつつも、カレルは促されるままにスニーカーとワンショルダーを差し出した。それを巨大なバックパックに収める男の視線が足元から這い上がる。つられてカレルも自分の姿を確認した。ブーツの中にたくし込んだパンツの裾はともかく、ベルトで強引に締めたウエストや幾重にも捲ったシャツの袖口は、カレル自身もどうかと思うほどの弛み具合だった。
「まあ……良いか」
これ以上整えようもないとあきらめたのか、男は低い声で呟き、ゴーグルとヘルメットを身につけ始めた。カレルもそれに倣うと、伸びてきた男の手が側頭部を撫でていった。途端に目の前の景色がモノクロになった。ノイズ混じりではあるけれど、薄暗かった室内の様子がはっきりと見える。
「慣れないと酔うかもしれないが」白黒の画面の中、男は自分のゴーグルにも手を遣った。「顔を見られるよりはマシだろ」クリアなウインドが一瞬でスモークに変わった。
「じゃあ、行こうか」
鈍器といっても良さそうな手がカレルのヘルメットを叩いた。男にとっては軽い挨拶のつもりなのかもしれないが、カレルにしてみれば少なくとも頸骨二個分は首が沈み込んだような気がした。
「エデンにですか?」
つかのま滞った息を唾液で開通させて、カレルは訊いた。
「そうだ」
明快な回答は予測どおりだった。
「いや、正確にいえば出口か……」
一呼吸置いて言葉を濁した男は背中を向けた。
「僕のどこがエデンの子なんですか?」
「見ればわかる。簡単なことだ」
そういわれても思い当たる節がないカレルは、大股で歩き出した男に小走りで近づいた。
「だいたいエデンの子って何なんですか?」
「しばらく黙っててくれ」ドアを押し開けながら、男が振り返った。「それから堂々と歩くように」カレルの足に目を落とし、窮屈そうに口元を歪めた。
その観察から生まれた気遣いなのか、通りに出ると男の歩調が幾分緩んだ。カレルはぶかぶかのブーツを跳ね上げ、再び標準的な大きさに見えるようになったバックパックについていった。男が懸念するまでもなく、ジグマ≠フ英雄だったカレルにとって、電子ゴーグルが描き出すぎこちない映像への対応は苦もないことだった。遠近感が乏しいそこに映る屈強な背中と腰に下げられた光の剣は、ステータスの表示がないだけで、ここ数年アイフォンの内側に見続けてきた光景と何ら変わりはなかった。
*
粉体塗装のヘルメットを巡る滑らかな金色の線。歴戦を誇示ようにところどころかすれているそれの威光は伊達ではなかった。すれ違うイルムガルト兵たちは一様に足を止め、姿勢正しく敬礼を送ってくる。カレルも見よう見まねで同じポーズを返した。ただし礼節を強いるアイテムの持ち主は、その体躯に見合った鷹揚さでヘルメットの縁に指先を沿わせるだけだった。
そんな緊張するやりとりも、地下鉄の入口を過ぎる頃にはなくなった。青果工場よりひとつ先の駅の構内は、不気味なほどの静けさだった。カレルは男に従いホームから飛びおりた。しばらく進むと、線路が二手に分かれていた。オクタヴィアの外周を回る環状線に分岐はないはずだから、きっと整備区につながっているのだろう、という予想を裏切って、男が選んだ方向のレールは錆に覆われていた。
「昔はここを通って、良くオクタヴィアに来た」
使われなくなって久しいだろう軌道を見下ろしているのか、背中を丸めた男がぽつりと漏らした。どうやら箝口令の解除らしい。
「サヴァン・ウォールが出来る前のことですよね?」
遠慮したカレルの小声は、だが思うより大きく響いた。細かくバウンドしながら、むき出しの配線が垂れ下がるトンネルの闇に吸い込まれていく。
「厳密にいえば六日間戦争が起こる前だな。あの頃は自由に行き来できた」
「でも、どうして内戦なんかに」
話に気を取られて足が鈍った男にカレルは並んだ。
無精髭が不思議そうに傾く。「オクタヴィアでは歴史を教えていないのか?」ゴーグルのせいで表情はわからなかった。
「僕が教わるのは、所詮オクタヴィアからみた歴史ですから」カレルは自嘲気味に答えた。「それにインストラクターは、信用ならないリグレノイドですし」
「信用ならない?」
「自分自身がマスターだなんて主張するんですよ。胸に手を当て、そこに心があるみたいに」
こんなことをいっても信じてもらえないだろうと思うカレルの口調が、皮肉めいたものとなったのは自然な成り行きだった。けれど男は馬鹿にするどころか、素っ気なくも真剣に訊いてきた。
「そいつの名前は?」
「マレクですけど……」意外な声の鋭さに、気圧されたカレルは口ごもった。「でも……彼は壊れましたよ」
「この騒ぎでか?」
「ええ、頭を吹き飛ばされて」
「それで、やつの目はどうなった?」
「えっ?」
「目も壊れたか?」
「たぶん」転がりながらこちらを見つめていた灰色の瞳が、カレルの脳裏で鮮やかに再生された。「少なくとも右目だけは大丈夫でした」
「そうか……」
逆らいようもない威圧感と言いしれぬ安心感が同居する男の印象が、その呟きとともに一瞬バランスを崩した。獣じみた凶暴な緊張感が、カレルの産毛を逆立てながら流れ去る。
「あの、マレクのことを知ってるんですか?」
カレルは怖々ながらも、当然の疑問を口にした。
「ああ、知っている」
優しいとまではいかないが、とりあえず不可視の爪を引っ込めた男が立ち止まった。ふと気づくとトンネルは行き止まりで、錆だらけのレールはレンガ積みの壁に飲み込まれていた。
「ちょっと下がっててくれ」
男の手がドゥームカッターに伸びる。
カレルが確認できたのはそこまでだった。白飛びしたゴーグル越しの映像が適正な露出を獲得したときには、すでに壁は崩れ視界が開けていた。急所の一点を突いたのか、その割に静かで迅速な作業だった。
ぱらぱらと落ちてくる目地材の破片を払いのけながら、カレルは男に続いた。遠く左に消えていくトンネルの先から、僅かだが光が射し込んでいる。
「あと少しだ」
振り向いた男の口には人差し指が当てられていた。黙って頷いたカレルはヘルメットを目深にかぶり直した。耳を澄ますと、イルムガルト兵のイメージとはかけ離れた調子の話し声が微かに聞こえてきた。
が、その音の発信源は、やはり黒い戦闘服だった。上り勾配を緩やかに曲がったカレルたちの前に、身振り手振りに夢中な三つの影が現れた。足音を殺した覚えはないのに、こちらに向け据えられた重機関銃の脇で談笑する背中は油断しきりで、姿かたちがはっきりとわかる距離になるまで、彼らは気づきもしなかった。
「止まれ!」
ようやく任務を思い出したらしい一人が叫んだ。他の二人があわてて重機関銃とサーチライトに取りすがる。またしてもゴーグルの反応が遅れ、カレルの目はつむる間もなくハレーションを起こした。
「失礼しました!」
だがそこからの復旧は先ほどよりもかなり早く、間違いを認めるすみやかな消灯と、浮き足立った様子を覆い隠すユニゾンは、それまでの彼らの態度からすれば上出来といえた。
そんな失態はどこ吹く風とばかりに、男が効果抜群のヘルメットを指で撫でた。道を開けた三人の前をゆっくりと通り過ぎていく。その陰に隠れたカレルが横目を流すと、身を固くして敬礼する兵士は、自分とさほど変わらない歳にみえた。戦闘服がかえって幼さを強調するのかもしれないが、それにしても三人合わせるとピクニックにでも来たようなお気楽さがある。
「あの人たちはいくつくらいなんですか?」
男の許可はなかったが、カレルは口を開いた。夜が明け始めたのか、目と鼻の先でトンネルの出口が淡く浮かび上がっていた。背後の頼りない三人が最後の障害だったらしく、もう邪魔者は見当たらなかった。
「十五が二人。あと一人は十七だ」
淀みない即答には、どこか違和感があった。「たぶん」とか、「きっと」とか、そんな曖昧な答えが返ってきたほうが、むしろ自然な気がする。
そうシミュレートした根拠を、カレルは自分の胸のうちに探した。そしてあの酒場のような場所で、ふと浮かんだ考えに行き着いた。もちろん明確な返答があったからといって、その推測を完全に否定するわけにはいかないが、直後背中から投げかけられた言葉で、カレルの良くない予想は見事に裏打ちされた。
「少佐!」
教室で聞いてもおかしくないだろう若い声が湾曲した天井を震わせて、蔦のような配線にしがみついていた水滴を幾粒かふるい落とした。
「フリッツ・フォン・ヴィターハウゼン少佐ですよね。自分は通信隊のイエンス、イエンス・クラセナーです。覚えておいでですか?」
少年兵の呼びかけに足を止めた男の顔を、カレルは思わず振り仰いだ。
「少佐?」
うな垂れた太い首が、ゆるゆると横に揺れていた。
「ギーゼルヘーア侵攻の際にお供しました、新兵のイエンスです。あのとき助けていただいた」
背中からの言葉は、こちらの応答に係わりなく続いている。
「フリッツで良い」
カレルの疑問を誤解したのか、男が自分の呼び名を指示して振り返った。紛うことなきイルムガルト軍少佐の無骨な手は、光の剣にかかっていた。
「退院したあと、転属願いを出したんです。もちろん却下されましたけど。少佐の部下になるなんて十年早い、って怒られちゃいました」
カレルは前を向いたまま、邪気のない声と、無言で遠ざかる大股の靴音を聞いた。これから起こることは思い浮かべるまでもなかった。
「でも今回の作戦に、少佐の部隊は参加してないって話だったんですけど。あっ、もしかして秘密任務ってやつですか? だったらこんなところで話しかけちゃまずかったですね」
何の前触れもなく空気と空気が激しく擦れ合い、それがカレルの鼓膜を震わせた。悲鳴も断末魔の叫びもなく、生じた沈黙を埋め合わせするように、例の異臭が漂ってきただけだった。
まとわりつくその臭いを引き剥がそうとして、カレルは強く頭を振った。肩越しをかすめる背後の惨状につい目がいってしまう。それに吸いつけられた視線に呼び込まれ身体を捻ると、男は跪いていた。なにやら祈りを捧げているようにもみえた。
「運がなかったな……」
息絶えた三人に言い訳めいた台詞を残し、彼が戻ってくる。研ぎ澄まされた輪郭を覆うゴーグルは、いつのまにか素通しの状態にされていた。
カレルはそこに映る後悔の念らしき色を見逃さなかった。眉根を寄せた四角い目には、厳しいながらも安堵を誘うような穏やかさ、言い換えれば誰もが持ち合わす人間味のようなものが、確かに見え隠れしていた。
「出口はそこなのに、どうして?」
けれどそんな印象が見間違いだったと思えるくらいに、その揺らぎの収束は早かった。「気分を悪くしたのなら、マレクを恨むんだな」といった声にも悪びれた様子はない。
「マレクを?」
「ああ、やつのせいで予定が変わった」
「だって彼は」
「いや、壊れちゃいないさ。リグレノイドの制御回路は胴体の中だ。そこが無事ならいくらでも修復できる」
「それじゃあ、彼が胸に手を当てたのは」
「まんざら嘘じゃないってことだな」
そこで男に背中を押され、カレルは苔むしたトンネルのアーチを抜けた。今まで感じたことのない清涼さで胸が膨らみ、大地を撫でる冷たい曙光に目を洗われた。砂礫とせめぎ合う刺々しい低木以外、視界を遮るものは何もなかった。壁の外の世界はあらゆるものが爽快で、そしてあるがままだった。
カレルはその荒涼としたパノラマに心を奪われながらも、本来なら自分の隣にいたはずの親友に思いを馳せた。彼もこの新鮮な景色を目にすることができたのだろうかと、度重なる混乱でうやむやになっていたことがにわかに頭をもたげ、「一緒にここを目指した友達がいたんですけど……」そんな呟きが自然と口から漏れた。
「ミロッシュといったか?」
「えっ?」
「ルドヴィークたちが上手くやったんじゃないか。心配する必要はないだろう」
驚いて見上げると、男は素知らぬ顔で遠くを見つめていた。カレルのことなど気にもしていない。
「何でも知ってるんですね」
その態度が癪に障ったカレルは、努めて沈ませた声音でいった。思わせぶりな言葉にいちいち反応する自分が、馬鹿みたいに思えてきた。
「それほどのもんじゃない。全てを知っているのは」
それでも隠しきれなかった苛立ちを、男は軽く受け流した。低い呟きが乾いた風に紛れ、あとを引くようにフェードアウトする。
「エデンを創ったやつだけだ……」
もはやカレルにその続きを問うつもりはなかった。知りたいことは訊くのではなく、目に映るものから判断すれば良い。そう思った途端に、何故だか目の前の大男と自分が横並びの関係になったような気がした。きっとそれは勘違いで、これからも男の思惑に振り回されるのだろうとわかっていても、せめてその流れを見極め、できるならば引き寄せてみたいと思い始めていた。
そんな感情に後押しされて、カレルは一歩前へ進み出た。「ねえ、フリッツ」自分の気持ちを確かめるために、思いきって呼びかけてみた。
「僕たちが向かう先は?」
やや間を置いて、やけに固い表情が斜め上から見下ろしてきた。ようやく自分なりの余裕を取り戻したカレルは、そこに照れ混じりの困惑を感じ取った。
「エデンは……」朝もやに霞む地平線を、いかつい指がたどる。「あの向こうで君を待っている」
しかしスラウォミールの大地は、方向さえわからないほど同じ平坦さでどこまでも続いていた。壁に囲まれて育ったカレルの経験を超えて、それは遥か遠くを指し示していた。
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