from EDEN

Intermission / near EDEN (1)



 セントラル・マネージメント・ルームに足を踏み入れたアレクセイは、辺りを一瞥すると、眉をひそめ白衣の袖口をめくり上げた。外部の電波が届かない地下深くにいるとはいえ、左腕の時計がそれほど狂っているはずもなかった。しかし壁沿いの制御卓ばかりが目立つこの円形の部屋には、確かに人の気配がない。ロイク・イスルギが時間にルーズなのは、今に始まったことではなかったが。
「ケイモ。すぐにロイクを呼び出してくれないか」
 イースト・セクタに続く自動扉の脇で突っ立っていたケイモに、アレクセイは力なく命令した。仮にロイクが施設の一番遠いところ、たとえばアスピレーション・ホールで感傷にひたっていたとしたならば、ここに来るまで最低でも十五分はかかる。
「送信しました」
 直立不動のケイモが無表情で報告すると同時に、アレクセイの背後で無機質なメロディがつかのま流れた。舌打ちをして振り返った先、部屋の片隅のパーテーションで区切られた一画から声が上がる。
「所長。老人たちの始末は終わりましたか?」
 思わずうなだれた頭をゆるゆると横に振りながら、アレクセイはその明瞭で無頓着な声の発信源に近づいていった。
「ああ、名実ともに死人になった。あとは腐っていく一方だ」
 衝立の向こうから現れた華奢な背中は前屈みで、ノートPCの画面を食い入るように見つめていた。
「出資者の末路も哀れなもんですね」
 同情の欠片もない口調が、折り畳み椅子の背もたれを軋ませた。両手をあげ大きく伸びをしても、ロイク・イスルギの視線はモニターに向けられたままだった。
 その薄っぺらい肩を軽く叩き沈ませたあと、アレクセイは並べられた事務テーブルを迂回して、スチロールカップを手に取った。
「彼らが勘違いしていただけだ。必要なのは技術ではなく」
「意思ですか?」
「そうだ。誰が好きこのんで、自分のことしか頭にないあの連中を目覚めさせる? それにこの研究所につぎ込まれた資金も、もとはといえば彼らのものではない」
 壁際に置かれたコーヒーサーバには、ちょうど一杯分だけ煮つまった液体が残っていた。それをカップに注ぎ、輪染みの出来た空のガラスポットをヒータの上に戻すと、ブザーが遠慮がちに注意を促してきた。
「放っておいても大丈夫ですよ。勝手に切れますから」
 アレクセイはスイッチに延ばしかけた手を引っ込め、傍らのミルク・ポーションを数個ひとまとめにわしづかみにした。
「それにしても、その老人たちを手玉にとって、一財団の施設でしかなかったここを政府直轄の部門にまで押し上げたんですから、所長のほうが一枚も二枚も上手だったってことですね」
「君やオルガと違って、二流の研究者にはそれしかやれることがなかったからな」
「あれ? 謙遜ですか? 所長にもそんな奥ゆかしいところがあったなんて」
「いや、事実をいったまでだ」
 言葉どおり謙遜でもなんでもなく、認識そのままを憮然と口にしたアレクセイは、ミルクと砂糖をたっぷり加えたコーヒーを片手に、ロイクの斜め向かいに腰かけた。両足をつっぱり前後に椅子を揺らす若いプログラマの興味は、こうして話していても目前の盤面にあるらしく、細めた目はまばたきさえしてしない。
「それで、君のほうは問題なく?」
 本来の香りを失っていたうえに、味までも大幅に改変したコーヒーをひとくち啜ってから、アレクセイは話題を変えた。
「テストは終わりました。といっても、あくまでも模擬入力ですから、百パーセントの保証はできませんけど」
 ロイクは素っ気なくいって、苛立った手つきでマウスを操作した。
「それに同時アクセスは、やはり二名がハードの限界ですね。仮にソフト側でそれを解決しようとすれば、肝心なところが犠牲になります」 「AIの容量を減らすことになりかねないと?」
「それも個別ではなく、総量で対応しないと難しいですね。でも仮にAIを五パーセント以下に抑えこんだ場合、その断片の組み合わせで構成される残りの九十五パーセントへの影響が大きすぎます。群体制御だけでは、所期目標は達成できませんよ」
 気のないロイクの答えは、数週間前に出した思いつきのオーダーをやんわりと拒否するものだった。だがアレクセイはそれを落胆せずに受け入れることができた。どうせ卵たちの全てを一時期に孵せるわけではない。いくら国家予算をふんだんにつぎ込んだ施設といえども、大義名分に隠れてその資金を流用したプロジェクトに、それほどのキャパシティがあるはずもなかった。
「時間の圧縮率はどれくらい?」
「平均すると、千分の六くらいですかね」
 アレクセイは素早く計算した。
「すると、ひと月に二人」
「いえ、アクセスタイムだけをとればそうなりますけど、実際にはリセット後、実時間で二ヶ月ほど遡ったところから自立生成が始まりますから」
「自立生成?」
「僕の独断です」
 ロイクはそこで深い溜息をついた。それが自分勝手な判断の告白に付随するものなのか、それともモニターに映る彼の劣勢に原因があるのか、そのどちらとも思え、アレクセイには判断がつかなかった。
「同じものを持ち寄るより、違いを認め尊重し合うことが大事だと、僕は考えます」
 顔を上げたロイクの表情には、固い決意のようなものがうかがえた。これまでの気もそぞろな態度は一変して、アレクセイを正面から見据えている。
「時間切れを狙っていた?」
 ふっと外した目線をテーブルの端に移したアレクセイの口元に、自然と穏やか笑みが浮かんだ。鈍く光るメラミン化粧合板の上には、ロイクのダブルブレストコートが無造作に放り投げてある。そのフラップポケットが、長方形に薄く盛り上がっていた
「ええ、まあ、そんな感じです」
 額にかかる長い前髪を掻き上げながら、ロイクは照れるようにいった。髪は奔放に乱れ、無精髭は伸びるがままのアレクセイと違い、どんな状況であっても彼の身だしなみは乱れることがない。それを証明するように、指の間から零れ落ちる漆黒の毛筋が柔らかな光沢を放った。
「ところで、決着はついたのかな?」
 アレクセイは味の調整にしくじったコーヒーを放棄し、両手をテーブルについた。ロイクの視線がモニターから外れた以上、彼が『闘争ではなく経済です』と力説するボードゲームが終わったのは明白だった。
「投了しました。これで十三勝九十五敗です」
「それでもケイモに勝ったことがあるとは、たいしたもんだ」
「彼にルールを教え込ませていた段階での成績ですよ。最近は逆にハンディを貰っているくらいですから」
 左腕の電波時計を確認して、アレクセイはゆっくりと立ち上がった。 「目に映るものから考える君と違って、おそらくケイモは盤面に自分が存在しているような感覚で打っているんだろうな」
「そんな相手に勝てるわけありませんね」
 あきらめと感心が入り交じった調子でコートを引き寄せたロイクも、椅子を鳴らしそれに従った。白の壁に取り囲まれ孤立した黒石が惨敗を物語る、その画面を閉じて、ノートPCの電源を落とした。
 二人の足は何の打ち合わせもなく、しかし揃って棒立ちのケイモが待つ自動扉へと向かった。ここから地上に出るには、西側を通るよりその方が若干近い。
「ケイモ」
 かなり手前から声をかけたアレクセイだったが、五フィート半の身長が二インチほどに見えるその距離をつめ、いざケイモの目の前に立つと、彼の肩を叩こうとして伸ばした右手をさまよわせた。以前、同様の行為が攻撃と判定されたことを思い出したからだ。もちろんケイモが反撃してくることはあり得ないし、誤解を解くにも言葉一つで足りる。だが表面上は正常に個別設定が変更されたようにみえても、実際そのやりとりが完全な形で処理されたとは限らない。記録の断片が思いも寄らぬところでパラメータとなってしまう可能性だってある。
「じゃあな、ケイモ」
 態度を決めかねているアレクセイに代わって、ロイクがケイモの肩を叩いた。彼の力加減は意識せずとも常人のそれであり、アレクセイのようにあれこれと考える必要はなかった。
「あとはよろしく頼む」
 結局、アレクセイはそういってケイモに握手を求めた。当然、手を差し出しただけで、そこには何の力も込めずにいた。
「安心してください」
 しかし握り返してきた冷たい手は、小振りなくせして意外なほど力強かった。思わず訝しげな視線を浴びせたアレクセイの戸惑いよそに、ほど良く調律されたバリトンが自信ありげに響いた。
「貴方とロイク、そしてオルガ博士の意志を尊重します」
 それを聞いて急にロイクはくすくすと笑い始めた。しだいにその笑い声は押さえきれずあからさまになっていく。
 彼に脇腹を突かれたアレクセイもようやく事態に考えが及んだ。気がつけばユリアと行き合ってから既に三十分以上がすぎている。つまりロイクと話していた間に、例の変更は行われたのだ。
「どんな気分だい? ケイモ」
 飲み込みの遅いアレクセイを押しのけて、ロイクがケイモの両肩をつかんだ。
「どうといわれましても……」
 ケイモは言葉につまった。
 その曖昧な対応に、ロイクはいっそう目を輝かせた。
「じゃあ、何がしたい?」
「とりあえず、世界モデルの再構築の必要性を感じています」
「何を、どう変える?」
「これからは、自分自身を基準点にすべきだと思います」
「そう、それができる唯一の存在になったんだよ、ケイモは」
「はい、とても感謝しています」
「それに名前だって自分で変えてもいいんだ。送信すれば、すぐにみんなも認知してくれるだろ?」
「でも、私にはそのつもりはありません。この名前が気に入っていますから」
 これまで聞かれなかった言葉で、そして表情豊かに、ケイモは自然に振る舞っていた。彼とロイクのやりとりを一歩引いてみるアレクセイも、もはや感嘆するしかなかった。画期的な試みが成功を収めたのは疑いようもない事実だった。しかしそこに一抹の不安を覚えるアレクセイは、ロイクほどその成功を喜べなかった。
「そろそろ行こうか、ロイク」
 アレクセイはロイク一人が興奮している会話に割り込んだ。
「我々はここに残ってはいけない」
 首だけで振り返ったロイクの顔には、最近見ることがなかった彼本来のあどけなさがあった。
「もうすぐですかね?」
「ああ、たぶんな」
 もちろんアレクセイにはわかっていた。ケイモに感情らしきものが確認された今、ロイクはここを立ち去りがたいはずだ。そもそもケイモと名づけたのはロイクで、それは彼の弟の名前だったのだから、外見上何の共通点がなくとも、何らかの思いがあっても不思議ではない。
「わかりました」
 けれどもそんな予想に反して、ロイクはあっさりと身を引いた。相変わらず読みづらい彼の態度に内心首を捻りながらも、アレクセイは一歩前に踏み出し、再びケイモの手を取った。今度はしっかりと握りしめ、願いを託して深い頷きを送った。
 それに対するケイモの反応は的確だった。瞼を閉じる速度と、頭を下げる角度。その連動にも淀みがない。
「それじゃ、行きますか」
 ケイモの肩を横からはたいてロイクがいった。
 促されたアレクセイは無言のまま、ケイモに向けていた視線を自動扉へと流す。
 その動きを、ケイモが身体全体で追う。
「大丈夫ですよ。彼のバランス感覚は、九十五敗のこの僕が保証しますから」
 一足先に通路に出たロイクは、アレクセイの心中を察しているようだった。
「それにもし盤面に自分がいるような感覚で打っていたのなら、客観性だって抜群なはずです。彼の判断の公平さは、我々には及びもつかないものですよ」
 そういって足早に歩きだしたロイクを追いかけるアレクセイは、ふと気づき足を止めた。背中から聞こえてくるはずの音を探し、振り返って後ろを見た。
「ああ、君のいうとおりかもしれないな」
 その呟きの方向に感づいたロイクも立ち止まった。
「簡単なことだったんです。彼を進化させるには、それを望む人間の意識が変わるだけで良かった」
 二人が目を見張った先には、不可視の光線を身体で遮るケイモがいた。そうやって自動扉の動きを阻止して、高々と右手を振っていた。
 アレクセイとロイクが軽く手をあげそれに応えると、やがて彼は深々と頭を下げ、そして後ずさった。微かな擦過音をたてて閉まっていく扉のすき間から、名残惜しそうな視線が投げかけられた。
 その感情豊かなさまは、もはや人間のそれと比べても何ら見劣りはしない。思わず顔を見合わせたアレクセイとロイクは、安堵と満足の微笑みを交わした。そこに言葉がないぶん、二人には互いの手応えが我が身のことのように感じ取れた。